【訪問日:2015年8月】
観光の時間です.
今日はリトアニアの「Neringa(ネリンガ)」でお散歩です.
ネリンガと呼ばれるクルシュー砂州(Curonian Spit)は98kmの細長い砂州で,リトアニア側からロシア側まで砂浜が続いています.内海側(Curonian Lagoon)には町が点在しており,夏のリゾート観光地として人気です.一方,バルト海側にはビーチが設けられているので,そこで過ごす人も多いようです.
Curonian Lagoonとバルト海を隔てるネリンガの幅は狭く,最も幅の広い部分でも3.5kmと言われています.最初に掲載した写真は,ネリンガが描かれた看板です.看板の下側がCuronian Lagoon,上側がバルト海,右端に描かれているのがクライペダです.南の方にある町Nida(ニダ)は写っていません...細長すぎて写真に入りませんでした.
ネリンガの由来はこの土地に伝わる神話にあります.この砂州は心優しい少女ネリンガによって作られたと信じられているのです.彼女は漁師達が内海で安全に漁を行えるように,砂を運びこの砂州を作ったのだとか.
ネリンガは独特の景観が評価され2000年にユネスコの世界遺産に登録されました.900近い植物相が存在しており,その中にはリトアニアのレッドリストに含まれる貴重な植物もあります.40近くの哺乳類も生息しており,ヘラジカはシンボル的な存在なのだとか.アオサギやウミワシといった鳥類も生息しています.さらに渡り鳥のルートでもあるため野鳥観察には最適な地のようです.
そんなネリンガには4つの町があります.
北から順番にJuodkrantė(ユオドグランテ),Pervalka(ペルバルカ),Preila(プレイラ),Nida(ニダ)です(なお,クルシュー砂州の最北部にはがSmiltynė(スミルティネ)あります).
今回のお散歩は観光が目的のため,バードウォッチングや森林散策,ビーチでのんびりはしていません”
《りん》からのメールに「ネリンガのうなぎ」という箇条書きがありました.
《わん》「なんのことだろう!?」
《ころ》「きっと,うなぎが食べられるんだよ♪」
ヒントの少ない指示で目的にたどり着けるのかどうか,心配になりました.
ネリンガへ渡る
今回は車でネリンガへ渡ります.利用したターミナルはNemuno gatvė 8にある「The New Ferry Terminal」です.(イルカ館へ行くのに便利な「Old Ferry Terminal」については 「イルカショー」の思ひで…をご参照ください.また,フェリーについては http://www.keltas.lt/en/home/をご参照ください.)
クライペダ市内の道路にはNida行きの看板が出ていましたよ.フェリーのマークもついていました.
フェリー乗り場の付近では,犬が散歩していました.
「KASA」と書かれた料金支払いゲートの前で待ちます.電光掲示板には次とその次に出発するフェリーの時間などが表示されていました.料金は自動車11.05ユーロ,大人0.8ユーロです.自動車の料金には運転手一人の料金が含まれています.
料金を支払った後は,係員の指示に従い車を移動します.車を止めた後は,降りても大丈夫ですが,対岸のネリンガまでは約600mと近いため,すぐに到着します.
フェリーを降りた後は,Nidaの矢印に従い信号のないガタガタ道を進みネリンガを南下していきます.
メイン道路は1本です.167号線がネリンガの南北を貫いています.道路脇にはキロ数を示す表示がありますが,北向き・南向きで異なります.
松並木のガタガタ道をさらに進みます.基本的に時速70km制限の道ですが,そのスピードで走っていてはかなり揺れます.道路がグニャグニャしていているからでしょうか...
自転車専用の道路が用意されているので,運転するのは安心ですが,たまに自動車用道路を走行する自転車を見かけました.車の運転には注意しましょう”
ネリンガ地区に入るところには料金所があり,5ユーロ支払いました.ネリンガ国立公園へ自動車で入る場合は入場料が必要となります.
季節や車の大きさによって料金が異なるようでしたが,普通車(トレイラー無し)であればどの季節に訪れても5ユーロだと思います.
この料金所を過ぎると,1つ目の町Juodkrantė(ユオドグランテ)が見えてきます.町中は40km/h制限です.町中の景色やインフォメーションを探すのに注意がそれてしまいがちですが,観光客や駐車している車,横断歩道,自転車で通る人などがいるので注意しましょう.
Juodkrantė(ユオドグランテ)
最初の町,「Juodkrantė」です.ここにはツーリストインフォメーションもあり,4つめの町「ニダ」に次ぐ観光地だと思います.
ユオドグランテの町に限らずネリンガには観光客用の駐車場が用意されているのですが,満車だったりします.夏の観光シーズンはタイミングが良くないと駐車できないことが多そうです.目的地に最も近い場所ではなく,少し離れたところに駐車し歩いた方が良い場合もあります.
【Exhibition hall of Liudvikas Rėza culture center and historical exposition】
ユオドグランテの町のツーリストインフォメーションです.
ネリンガの地図をくれたり観光スポットを紹介してくれたりします.ここは観光情報を提供しているだけではありません.地元のイベント会場でもありクラシックのコンサートなどを開催しているようですが,町の歴史展示室もあります.
historical expositionの入館料は0.87ユーロだったと思います.ミュージアムは写真撮影不可です.
最初に案内された場所は絵画の部屋だったので,「ん...? 街の歴史博物館でないなら入らなくても良かったかも.」と思ってしまいましたが,2階の部屋もありました.
昔の風景を伝える写真や民族衣装の展示,当時使われていたお皿や冊などが展示されていましたよ.
L. Rėzos str. 8, Neringa, Juodkrantė
6月から9月14日:毎日10:00-18:00(冬期は月曜休館)
【Hill of Witches(Raganų Kalnas)】
木で作られたオブジェが森(丘)の中に展示されています.隣接する駐車場があり,出店のお土産屋さんもありました.
森の中には,作品がポツリポツリとあります.歩きやすい靴がおススメの観光地です.
これらの作品は,この地域の自然環境に触発されたアーティストが何百年も前から伝えられている伝説やお話を基に創ったものです.80近いオーク材の彫刻作品が森の中に並べられているそうです.
最初の作品は70-80年代の作品のようです.1988年や2002年にも新しい作品が加えられています.比較的新しい試みなのですね”
作品の中には魔女や悪魔をテーマにしたものもあります.夜,お散歩したら怖そうな場所です...
椅子のような作品もあり,座って休んでいる親子を見かけました.ガイドツアーもやっているみたいでしたよ.でも,全部見て回るのは時間もかかるし大変そうです.
ユオドグランテには,Amber Bay(1800年代後半にたくさんの琥珀が採れた場所)やMiniature museumといった観光名所もあります.また町の周辺では森林散策をしたり,サギや水鳥のコロニーを見たりもできるようです.
【Apžvalgos aikštelė ant Avikalnio kalno】
今度は,ユオドグランテの町から少し離れた場所です.ユオドグランテから167号線を南下し『Nida24km(ニダまで24キロ)』という看板を過ぎたあたりにあります.駐車スペースと説明の看板が建てられています.ここは,地図にパノラマポイントとして印があったので寄ってみました.展望デッキから見えるのは,リトアニア本土のあるラグーン側ではなくバルト海側です.
...といってもメインとなっている景色はバルト海ではなく松林です.
Pervalka(ペルバルカ)
2つめの町,「Pervalka」.この町は規模も小さく人口も少ないようですが,1900年に小さな人工島に建てられた灯台「Pervalka lighthouse」やLiudvikas Rėzaの彫刻があります.しかし,最も多くの観光客が訪れるのは,ペルバルカの町の手前にある砂丘(Grey Dunes,リトアニア語でPilkosios kopos)です.
【Takas Naglių gamtos rezervate prie Pervalkos】
最初の町(ユオドグランテ)と2つめの町(ペルバルカ)の間に9kmにわたって広がる砂丘です.
ユオドグランテの町で買ったポストカードの景色を探しに来ました.そのポストカードには砂の美しい断層模様写っていました.インフォメーションのおばちゃんに「ここへ来れば見ることができるよ」と言われたので楽しみです.
ネリンガの自然保護区の中にあるため保全・監視されていますが,観光が許可されている場所があります.スミルティネとニダをつなぐ道路(167号線)の31km地点にあります.ユオドグランテの町からニダを目指し『31』の標識が出たらもうすぐです.
人気の観光スポットというだけあり,たくさんの人が来ています.小さな駐車スペースはもういっぱいですがタイミングよく,車と止めることができました!! ここの駐車場は2時間なら無料で止めることができます.
早速出発です.この林を抜けると,砂丘に着くのかなぁ!?
少し歩くと,砂丘が見えてきました.砂丘を見ると草で覆われている部分があります.
砂丘が植物で染められているため“grey dunes”と呼ばれているのです.
300年以上前,ここにはNaglių村がありました.砂の影響を受けた住民はしばしば移動しなければならなかったそうです.15mも砂が移動した年もあったようで,最終的に住民はネリンガの他の町に移住しました.砂が村を飲み込むようすを再現した資料映像がありました( http://www.nerija.lt/kultura/uzpustyti-kaimai).
Grey dunesはDead Dunes(リトアニア語ではMirusios kopos)という名前でも知られています.この砂の下にはかつての町が眠っているのです.
さて,砂丘を見ることはできましたが,まだまだ道は続いています.先へ進まなくてはなりません.
戻ってくる人を見ると,なぜか裸足です.
《ころ》「なんで,みんな靴を手に持っているんだろう!?」
答えはすぐに分かりました.ボードウォーク(木製遊歩道)が整備されているのは途中まで.そこから先は,砂の中を歩いていくしかありません...ほとんどの人は靴を脱いで砂浜を歩いていました.
砂浜を...一生懸命に歩けば“展望デッキ”にたどり着けます.
右の写真が“展望デッキですよ!!...でも見えるのは海.
ここからはラグーン側とバルト海側の両方が見えたと思います.せっかく歩いたのに砂浜と海しか見えません.期待していた断層などありません.砂の断層模様...展望デッキまでの道に少しだけあったけれど...これのことかなぁ!?
この砂丘では風の作用によって断面が形成され,砂だけでなく昔の土の部分などが見えているそうです.
《わん》は一生懸命に歩いたのに,ポストカードにあるような景色を見られなくてがっかりしていました.
《ころ》は砂でいっぱいになったスニーカーの中をみて,少し楽しくなりました(足を守るために靴のまま歩き続けました).
「見てみて♪ 計量カップ1杯分くらい砂が溜まっているよ-!!」
Preila(プレイラ)
3つめの町,「Preila」ではご飯を食べました.
「ネリンガのうなぎ」をご参照ください.
Nida(ニダ)
4つめの町,「Nida」はネリンガの中心都市と言われています.ネリンガの最も南にある町で,さらに4kmほど南に進むとロシアのカリーニングラード州との国境があります.
ニダは1732年に漁師たちによって作られた町です.それ以前にも町があったのですが,砂で覆われてしまったのだとか...ネリンガの砂丘は16世紀頃に新たな形成期に入り,それまであった村を飲み込んでいったそうです.1825年頃からは緑化活動が行われるようになり,現在の姿である木々に覆われた砂州となったそうです.
ニダの町は観光客でいっぱいです.駐車スペースを見つけるのが大変でした.
ニダの町にもツーリストインフォメーション(Taikos gatvė 4)がありますが,トーマス・マン博物館とは離れた場所にあります.車で移動したいくらいです.が,お散歩をした日は混雑していて車を停める場所を見つけることができなさそうだったので,トーマス・マン博物館の近くに車を止めたままインフォメーションまで歩きました.右の写真がトーマス・マン博物館前の状況です.大型バスや自動車がたくさん止まっています.バスがUターンしようとするので,通行不能となり大変混雑していました.
トーマス・マン博物館からツーリストインフォメーションまでは1.4kmくらいなので,ゆっくり歩いて20分くらいです.
海沿いをのんびりお散歩できます.疲れていなくて,時間があるのなら歩いてもいいと思います.
歩いたおかげで,この町独特の伝統的な木造の漁師の家や風向計を見ることができました.
オレンジの屋根に青色のラインが映える家など建物が特徴的でした.
ニダには伝統的な漁師の家が残されているそうです.装飾を取り付けた萱葺の屋根,赤い瓦,青や茶に塗った窓枠.屋根の真下(縁)の部分を見てください.三角の切妻屋根には細かい彫刻が施されています.このような建築は,リトアニア本土とは異なりネリンガ特有のものだそうです.
町を歩いていると,こんなものも見かけます.これは風向計です(クライペダのオールドフェリーターミナルの付近でも見かけましたよ).
この風向計は木で作られていてオリジナルの装飾が施されています.船上で長い時間を過ごした漁師たちは,魚がかかるのを待つ間に作っていたそうです.デザインは周りの自然から影響を受けたものであったり宇宙的なものであったりしました.
もっとも凝って作られているのが風下の部分なのだとか.家や教会,鹿がデザインされています.トップの部分は(子供の数といった)家族についての情報が刻まれているそうです.
鮮やかに色付けされている風向計は19世紀初頃から盛んに作られるようになりました.時が経つにつれ漁師や風向計が消えつつありましたが,青空の下に展示するプロジェクトとともに現在でも風向計が活躍しています.
この風向計には,さらなる情報が盛り込まれています.
この地に人が住み始めたのは15世紀頃のことで,当時の生活を支えていたのは漁です.当時使われていた大型の木製平底船は「kurėnai」と呼ばれていました.そのマスト(帆柱)の先端には“サイン”になる風向計が取り付けられていたのです.これは風の方向を見るだけではなく,船がどの村(家柄)に所属しているかを示すものでもありました.
村を示す模様は,現在の紋章にも描かれています.ネリンガの紋章は盾型の上の部分が6つに分かれています.
各パーツには,ニダ(左上:白黒の長方形),プレイラ(右上:白と黒の三角形),ユオドグランテ(左下:クロス),ペルバルカ(右下:中心が黒の長方形),さらには砂で埋もれてしまったかつての町のシンボルマークがデザインされています.
インフォメーションの近くには銀行やレストラン,スーパーマーケットがありました.ニダの町にも琥珀を扱うAmber Gallery-Museumもありましたよ(「琥珀ミュージアム」の思ひで…).
【the memorial musem of Thomas mann】
入館料は1.74ユーロでした.
ノーベル文学賞を受賞した小説家トーマス・マンは1930年と1932年の夏をニダで家族と一緒に過ごしました.言葉では表現できないほどの美しい自然環境に魅せられ,この地に別荘を立てたようです.彼はニダでのんびりと過ごしただけではなく,エッセイや論文,小説『ヨセフとその兄弟』などの多くの作品を書きました.
ここにはトーマス・マンの草稿や写真,パネルでの説明などが展示されていました.リビングルームやテラス,書斎などには家具が置かれていましたよ.
クルシュー砂州はドイツ領となっていた時代が長く,ドイツの小説家トーマス・マンもここを訪れた多くのドイツ人のひとり.ここを訪れるドイツ人は現代でもたくさんいます.トーマス・マンミュージアムの中は,まるでドイツにいるようでした.
Skruzdynės gatvė 17, Neringa, Nida
5月10日から9月15日:毎日10:00-18:00(冬期は火曜-土曜10:00-17:00)
http://www.mann.lt/en/
【Neringos Istorijos Muziejus(ネリンガ歴史博物館)】
入館料は大人0.58ユーロでした.写真撮影はダメです.
ニダの風景写真だけではなく昔の人々の生活の様子を写した写真や船の模型もありましたよも展示されていました.2つの部屋だけなので,すぐに終わります.
琥珀を採っている昔の写真がありました.琥珀を集め,加工していたのです.長い柄のついた器具ですくい採ったり,浜を掘ったりしたようです.この地域で商業的な琥珀の採取が始まったのは19世紀後半です.1860年には採掘会社が設立され,その後30年にわたり2250トンもの琥珀がクルシュー砂州の海岸から採掘されました.
魚を干す昔の写真もありました.魚は肉や野菜,パンに変わる重要な栄養源だったようです.魚は生で食べるだけではなく,乾燥させたりローストしたり煮込んだり,燻製にしたり...など様々な形で食べたり保存されていました.
現在でもスモーク香を感じることができますし,もちろん食べることもできます.
うなぎやコイも食べられているようです.
《ころ》はお腹がすいてきました.
Pamario str. 53, Neringa, Nida
6月から8月31日:毎日10:00-18:00(冬期は月曜休館,17時まで)
とネリンガのオフィシャルサイトに書かれていましたが,『火曜から土曜,10:00-18:00』との張り紙を見かけました.
【Parnidžio kopa su saulės laikrodžiu - kalendoriumi】
ニダの町から少し南へ行ったところに砂丘(Parnidis dune)があります.
歩いてくることもできますが(calm lagoon-side footpath)車で来ることもできます.《わん》と《ころ》はもちろん車で!
駐車スペースは満員だったので,みんな道路沿いに止めていました.その列に習って駐車しました.駐車場付近ではお土産を販売していました.
海抜53mの地点,この砂丘の最も高い位置に設置された日時計です.
が,設置の4年後(1999年)にハリケーンによって壊れてしまったそうです.修復されたのかどうかはよく分かりませんが,ここからの眺めはとても良いです.
日時計からもう少し先へ,砂の中を進むと,広大な砂地そしてニダの村の方まで見渡せます.
左の方に写っている赤いのがニダの町です.そっちの方からはゾロゾロと人が歩いてくる姿も見えました.
この場所から見る日の出や夕日もオススメのようです.展望デッキもあったのですが...
この日は結婚パーティーが企画されていました.
結婚パーティーが始まると,近くには入れなくなってしまいました.「あの人達より早く来て写真を取っておいてよかったねぇ.」
ペルバルがの砂丘と比べると歩く距離は短いですが,歩きすぎて疲れた《ころ》.「もう,砂の上はイヤだよ...」と,草の木陰で動かなくなりました.
《わん》「ご飯を食べに行こう!」と《ころ》を元気づけました.
《ころ》はスタスタと歩き出しました.
ニダの町は車を止めるのも大変なくらい観光客がいたので,3つめの町プレイラでお昼ご飯を食べました(「ネリンガのうなぎ」).
クライペダへ渡る
夕方,フェリーは大変混雑しています.
みんな同じように観光するから仕方ないですね.多くの人は朝の船でネリンガへ渡り,夕方の船でクライペダに帰るという観光をしているようです.
「今日は土曜日だし,余計に混んでいるのかもね.」と《わん》
フェリー乗り場では右レーンに並びましょう.みんなが並んでいる方です.空いていると思って左レーンから進んだ人は,ユータンさせられ,列の最後尾に回されていました.
ちなみに,フェリーは往復料金でした.帰りにチケットを買う必要はありません.
つぎはどこをお散歩しようかなぁ...
【Klaipėdaへのアクセス】
首都ヴィリニュス市内から車で行く場合は, A1を進みます.クライペダまでは300kmほどありますが,高速道路が整備されています.
(リトアニアでの運転)
速度制限は,街中:50km/h,郊外:90km/h,主要高速道路:110km/hです.ヘッドライトは常に点灯させる必要があります.高速道路は無料です.高速道路にはバス停が設けられていたり,Uターンレーンがあったり,側道を人が歩いていたりするので運転には注意しましょう.
(リトアニアの営業時間の表示)
リトアニアでは曜日にローマ数字を当てはめ営業時間を表示している店があります.Iが表すのは月曜日です.例えば「I-V, 8-22」と表示されていたら「月曜日から金曜日の8:00-22:00」という意味です.
リトアニア
バルト三国の1つでラトビア,ベラルーシ,ポーランド,ロシア(カリーニングラード)と国境を接しています.バルト海をはさんだ西側にはスウェーデンがあります. 1940年に旧ソ連邦に編入され,1990年ソ連からの独立宣言を議会で採択しました.2004年にはエストニア,ラトビアとともにEU加盟しています.リトアニアが2015年1月にユーロを導入したことで,バルト三国すべてでユーロが流通することとなりました. 公用語のリトアニア語はバルト系言語で,ラトビア語と同じグループに属します.宗教は主にカトリックで,文化面はポーランドの影響が大きいと言われています.
国名 | Republic of Lithuania(リトアニア共和国) | |
人口 | 291.6万人 | |
面積 | 約6.5万平方キロメートル | |
言語 | リトアニア語 | |
通貨 | ユーロ(2015年に導入) | |
時間 | UTC+2(日本時間 -7時間,夏季は -6時間) |
二宮書店編集部(2015)『データブック オブ・ザ・ワールド 2015年版』二宮書店.
Danguolė Kandrotienė (2015)「Lithuania 100 places to visit」TERRA PUBLICA(978-9955-652-99-1).
外務省:http://www.mofa.go.jp/mofaj/index.html
Klaipeda Tourism and Culture Information Centre: http://www.klaipedainfo.lt/en/
NERINGA:http://www.visitneringa.com/en/intro
True Lithuania:http://www.truelithuania.com/