【訪問日:2015年8月】
博物館の時間です.
今日はリトアニアの「Kaunas(カウナス)」でお散歩です.
日本の通過ビザを発行し,多くのユダヤ人の命を救ったことで知られてる杉原千畝(すぎはらちうね).彼は第二次世界大戦中,領事代理としてリトアニアのカウナスに赴任していました.カウナスの旧日本領事館は杉原記念館として保存されており,杉原氏の功績が展示されています.
杉原記念館を探して...
リトアニアの人は相手が‟日本人”と分かると「親切にしてくれる」や「杉原千畝のことを話題に出す」という話を聞いたことがありますが,全くそんな雰囲気はありませんでした.もちろん,リトアニアで出会った人たちは親切で良い人達でしたが,相手が「日本人だから」ではなさそうでしたよ.
ただ...杉原記念館近辺では,‟日本人=杉原千畝“のようです.
《わん》と《ころ》は杉原記念館を探して歩き続けていました.杉原記念館は観光地が集まるカウナス旧市街にはありません.カウナス新市街からも結構離れたところに位置しています.
カウナスの新市街は,まっすぐな一本道のライスヴェス通り(Laisvės alėja)が貫いています.約1.5㎞続くライスヴェス通りの東端に聖ミカエル教会(Kauno Šv. arkangelo Mykolo bažnyčia)があるのですが,そこからさらに15分(1.2㎞)ほど歩かないと杉原記念館へはたどり着きません.
聖ミカエル教会を通り過ぎると観光客や人の姿は少なくなります.ガイドブックの地図を頼りに,階段を上って行くことにしました.129段くらいあったと思います.
旧日本領事館の建物を利用したミュージアムですが,住宅街といった感じの場所にあります.
観光客がウロウロしているわけでもなく,静かな雰囲気の場所です.日本人は観光バスで訪れる場合が多いようで,看板もあまり出ていませんでしたが「あと100m」の小さな看板を見つけてほっとしました.歩いている場所はあっているようです.
看板は一応あったのですが...その看板以外は特に無く,「ここ→」みたいな目印がなかったので通り過ぎてしまいました.ミュージアムがあるはずの通りを行ったり来たりしていると,「スギハラ⁉」と声をかけてくれた人がいました.彼はバスの運転手.日本人団体観光客を連れてきたところのようで,スギハラミュージアムはこっちだよ~と指さしてくれました.
この通りで日本人らしき人が探しているのはスギハラミュージアム以外にはありえないということです.親切な運転手さんに出会えてよかった♪
閑静な通りにある杉原記念館の入口は,建物のわきを入ったところにありました.
杉原記念館
ガイドブックには無料と書かれていましたが,入館料は3ユーロでした.さらに...日本円も受け付けられており450円とのことでした.
訪問者はやっぱり日本人ばかり.この日もバスでの団体観光客が来ていて,2つの部屋とビデオ視聴室からなる館内はいっぱいになっていました.
旧領事館は杉原氏が家族と共に住んでいたところです.当時の様子がわかる写真などパネルを使った展示がありました.
ビザを発行するに至った歴史的背景(第二次世界大戦の状況)の解説もあります.また,日本政府への電報や発給したビザのリストが展示されています.
【杉原千畝】
1939年に領事館代理として赴任した時,ドイツではユダヤ人排斥の機運が高まっていました.
1940年7月,朝6時という時間にも関わらず,領事館の門前に人だかりができていました.彼らはポーランドから逃れてきたユダヤ人.オランダ領の島やアメリカ大陸へソ連を経由して行こうとしていた彼らは日本の通過ビザを必要としていたのです.
ちなみにカリブ海にあるオランダ植民地キュラソー島のビザをユダヤ人に発行したのはオランダ人外交官ヤン・ツバルテンディク(Jan Zwartendijk)です.彼もユダヤ人の命を救った外交官として称えられえています.
領事代理であった杉原はビザに関し日本本国へ打診したのですが「否」と突き返されたそうです.日独の協定があったため,ユダヤ人にビザを発行することは問題だったのです.しかし,日々増えていくユダヤ人をみて杉原は日本に背いてビザを発行する決断をしました.
そのような中,リトアニアへのソ連の侵攻や大使館の閉館通達といった緊迫した情勢となっていきました.杉原はベルリンに向かうことになったのですが,その列車の中でまでもビザを書き窓から手渡したと言われています.
杉原は1600のビザを発行しました.日本の命令に背いてでも多くの命を救ったのです.「命のビザ」を持ったユダヤ人難民が上陸した港は福井県の敦賀港です.そこには「敦賀ムゼウム」があり杉原千畝の功績も紹介されています.
イスラエル政府によれば,杉原の発行したビザにより6000人の命が救われたとのことです(ビザは1家族につき1枚あればよかったため).イスラエル政府による「諸国民の中の正義の人賞」を受賞した杉原氏は「外交官としては問題だったけれど,間違ってはいなかった」とのコメントを残しています.
杉原氏の功績を知る人が多いイスラエルには「スギハラ通り」と命名された通りがあります.
カウナスの杉原記念館では,日本語のガイドブックや解説本を販売していました.また包装紙に杉原氏の写真が印刷されたいた板チョコレートを売っていました.
つぎはどこをお散歩しようかなぁ...
【今回の観光地】
SUGIHARA HOUSE(杉原記念館)
Vaizganto str. 30 LT- 44229, Kaunas Lithuania
入館料3ユーロ(大人)
5‐10月:10:00‐17:00(土日は11:00‐16:00)
11‐4月:11:00‐15:00(土日は休館)
公式URL:http://www.sugiharahouse.com/
【杉原記念館へのアクセス】
観光スポットの集まるカウナスの中心地からは離れています.カウナス城のある旧市街とは3.7㎞ほど離れており,徒歩では50分近くかかると思います.
(リトアニアでの運転)
速度制限は,街中:50km/h,郊外:90km/h,主要高速道路:110km/hです.ヘッドライトは常に点灯させる必要があります.高速道路は無料です.高速道路にはバス停が設けられていたり,Uターンレーンがあったり,側道を人が歩いていたりするので運転には注意しましょう.
(リトアニアの営業時間の表示)
リトアニアでは曜日にローマ数字を当てはめ営業時間を表示している店があります.Iが表すのは月曜日です.例えば「I-V, 8-22」と表示されていたら「月曜日から金曜日の8:00-22:00」という意味です.
リトアニア
バルト三国の1つでラトビア,ベラルーシ,ポーランド,ロシア(カリーニングラード)と国境を接しています.バルト海をはさんだ西側にはスウェーデンがあります. 1940年に旧ソ連邦に編入され,1990年ソ連からの独立宣言を議会で採択しました.2004年にはエストニア,ラトビアとともにEU加盟しています.リトアニアが2015年1月にユーロを導入したことで,バルト三国すべてでユーロが流通することとなりました. 公用語のリトアニア語はバルト系言語で,ラトビア語と同じグループに属します.宗教は主にカトリックで,文化面はポーランドの影響が大きいと言われています.
国名 | Republic of Lithuania(リトアニア共和国) | |
人口 | 291.6万人 | |
面積 | 約6.5万平方キロメートル | |
言語 | リトアニア語 | |
通貨 | ユーロ(2015年に導入) | |
時間 | UTC+2(日本時間 -7時間,夏季は -6時間) |
二宮書店編集部(2015)『データブック オブ・ザ・ワールド 2015年版』二宮書店.
Danguolė Kandrotienė (2015)「Lithuania 100 places to visit」TERRA PUBLICA(978-9955-652-99-1).
外務省:http://www.mofa.go.jp/mofaj/index.html
DTACリトアニア観光情報局:http://www.dtac.jp/baltic_eeurope/lithuania/
杉原千畝 生誕100周年記念事業:http://www.chiunesugihara100.com/j-top.htm